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ひかり。


トレーナーは、日本ではとても曖昧なポジションにある。
勿論、鍼灸師や柔整の先生方は国家資格を持ったうえで
治療行為を主に競技のサポートをしてくださっている方も大勢います。


イシイが初めてトレーナーという職業を知ったのは
中学3になる春休み。
当時バレー部だったイシイはネットプレーで相手選手の足に着地、
剥離骨折と前距腓靭帯の損傷、三角靭帯の損傷で、
最後の中体連を棒に振りました。

でも、その先生との出会いでトレーナーという職業に出逢ったわけで。
結構有名人だったその先生を頼って、
県内各地からこれまた結構有名選手が治療に訪れていたのを覚えてます。


純粋に怪我した選手の力になりたい、と心に決めた中3の春。
高校時代もその想いはずっと心の中にあり、普通科で過ごした3年間だったけれど
体育大、専門学校、その先…
トレーナーになるんだ、とその想いが揺らぐことはただの一度もありませんでした。


結局、専門学校へ進んだわけですが。


ここで目から鱗な事実が発覚したわけで。

治療当時、言われたことを守ってイシイは高校でソフトボールへ転向。
『この足の骨格は、バレーに向かないね。
大きいけがをする前に辞めた方が良いかもしれないね。』

そんなのウソだ、絶対治してまたプレーするんだ、という気持ちは
中学で燃え尽きてしまいました…。
それほどバレーが好きじゃなかったわけではない。
むしろ、オリンピック選手になりたい!!と小学校の卒業アルバムに書いたほどバレーボールが好きでした。
でも、出口の見えないリハビリ生活と最後の中体連を棒に振ってしまったことが
きっとバレーボールと決別するきっかけになったんだと思います。


何が目から鱗かというと…
イシイの骨格は、バレーを止めなければならないほどの悪い骨格ではなかったということが
専門学校で出逢った恩師によって発覚したのです。

専門学校に進んだ時点で治療に携わるトレーナーではなく、
怪我をしない、させない身体づくりを指導するトレーナーを目指していたので
正しい知識と、正しい動きを見せられるトレーナーになろう、
そして怪我をしてしまった選手には必ず復帰するまで寄り添い、
その選手にとって最善の道で最善の方法で復帰の手伝いが出来るような存在になろう、と
心に決めていました。


曲がりなりにもトレーナー道を歩んできて11年目。


またしても衝撃的な治療家の先生にお目にかかりました。

レントゲンを撮り、事実だけを突き付け、
そのスポーツはやめた方が良いとは言わないけれど勧めない、とか
こんなにひどくなった原因がわからないのは自分の体を理解していないからだとか。


まぁまぁ、けちょんけちょんでした。


トレーナーやドクターって。

選手に絶望感を与えちゃいけない。
選手から希望を奪っちゃいけない。

例え、選手生命が経たれてしまうような怪我であったとしても
選手はきっとその事実を言われずとも感じているはずだ。
だって、自分のカラダだもの。
受け入れなれないのが人間ってもんだ。

そこで事実を突き付けるのも勿論、使命。


でも。

だからどうしていかなきゃいけないのか。
どうすることが最善の方法なのか。
今の自分に何が出来て、どこを目指していけばいいのか…


選手にとって細い細い光であってもその光を遮ってしまってはいけない。
そんな権利、絶対にない。


細い細い光であっても選手がその光を頼りにまた立ち上がることが出来るなら。
その光を探してくるのがイシイの役目。
最後の最後まで諦めず選手に寄り添って手を引いてあげるのがイシイの役目。


そう思って、今まで選手に向かい合ってきた!!!!!



何だか、想いが踏み躙られた気がしました…。


でも、改めて気付かせてくれた自分のトレーナーとしての信念。
この出逢いもまた、感謝すべきなのかもしれません。
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  1. 2013/12/19(木) 18:28:03|
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